toggle
2016-03-20

ジャフナとは

小さな島なのに、話す言葉も宗教も違ういくつもの民族が隣りあって暮らすスリランカ。一番多いのが人口の75%を占めるシンハラ人で、その次が11%を占めるスリランカ・タミル。

他にも、スリランカ・ムーア、インド・タミル、バーガー、マレー、チェッティなどとよばれる人たちがいて・・・
なかには、人口比は1%未満でも、文化的に、あるいは社会的に存在感の大きい民族があるのも面白いところです。

そうは言っても、「民族」というこの区分自体、植民地支配の都合で線引きされたものであったり、植民地からの独立運動を盛り上げるなかで強化されたものであったり・・・。スリランカの人たちの頭の中にある「身内」の線引きは、実際にはもう少し複雑ですし、時代とともに変わってきたようです。

そんな多様性をはらむスリランカの、北部から東部にかけては、タミル人がとりわけ多く暮らしています。いまインドでタミル・ナードゥ州となっているあたりから渡来した人々ですが、スリランカに定住してもう何世紀も経っています。植民地時代に、紅茶プランテーションの労働力としてインドから連れてこられたインド・タミルとは区別されます。

私が今回訪れたジャフナという街は、北部の主要都市であり、スリランカにおけるタミル文化の中心地です。1980年代初頭に内戦が始まるまでは、コロンボに次ぐスリランカ第二の規模の都市でした。30年近い内戦中に経済発展から取り残されてしまったので、今となっては、知らずに訪れればただの田舎町にしか見えないと思いますが、ちょっとした食堂の内装などに、どことなく昔ながらの佇まいを感じることがあります。

ジャフナは、古来、海洋交易の拠点港であり、スリランカ北部を支配する王朝がここに都を置いた時代もありました。
16世紀以降はポルトガル、オランダ、イギリスによる植民地支配の影響を直接に受け、19世紀に入るとアメリカからの宣教師たちが熱心に教育活動を展開。
英語を使いこなす人材が多く育ち、イギリス領セイロンの頭脳を輩出する土地柄でもありました。

スリランカは第二次大戦後に独立を達成しましたが、植民地支配下のひずみは、隣り合い、まざりあって暮らしていた人々を分断する方向にはたらき続け、1950年代半ば以降は、スリランカ・タミルと人口の大半を占めるシンハラとの対立が深刻になっていきました。

1980年代には、ジャフナを中心とする北部・東部地域だけを独立させてタミル人の国を作ろうとした反政府勢力と、それを認めない政府との対立が激化し、2009年まで26年にわたり内戦が続いたのでした。

◆料理修行2016年3月〔ジャフナ〕
列車でジャフナへ
陸路の理由
エー・ナイン・ロード
ジャフナとは ←今ここ
ジャフナ〔宿泊〕Jetwing Jaffna

◆料理修行2017年4月〔ジャフナ〕
国内線でジャフナへ

Pocket

関連記事