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2019-04-12

百年目のお正月

スリランカのお正月は4月、2019年は14日が元旦でした。
私は北部州のジャフナ県アリヤーライという村で、料理修行先の家族(ジャフナ料理本著者のご一家)と過ごしました。

「今年のお正月は百周年で、すごいから」と言われてはいたのですが・・・
目にするものに心揺さぶられ続けた3日間でした。

アリヤーライ村の、新年の恒例行事である「大運動会&文化祭」は、百年前の1919年、植民地支配下で始まりました。

英国支配に対抗して、自分たち(タミル人)の文化のすばらしさを自覚し結束を強める目的でした。
その後、その時々で意味合いを変えつつ、この行事は続けられてきました。
1983年から26年間にわたる内戦中も途切れることはなかったそうです。

中でも1990年から2002年の12年間は特に苦しい時期で、この村を含むジャフナ半島全体が陸の孤島となり、物資の流通はおろか、電気などのインフラもままならない状況でした。

この村は、1995年と2000年の二回、強制退去も経験しています。
戦闘地域になってしまい、村に残ることが許されず着の身着のまま家を棄て、国内避難民として近隣に流れ込むしかなかったのです。

そのような混乱の中でも開催をあきらめなかった行事の、百周年でした。

この記事、冒頭に掲げた門の写真には「アリヤーライ・コミュニティセンター」とあります。
地元の人らはこの施設を「ライブラリー」と呼ぶのですが、運動場付きの公民館のようなもので、保育園が併設されていたり、配給所があったり、運動場では放課後にスポーツ教室が行われたりしています。

アリヤーライ村にはこのような施設が11軒もあり、今回の百周年にあたって、イベントの主要会場となるのはもちろん、それぞれのセンターが企画して記念行事の一端を担ったそうです。
こうやってお正月を一緒に過ごさせていただくことがなければ、内戦で人っ子ひとりいなくなったのがそんなに遠い昔でもないこの村に、これほどまでのことが行われていると気づきもしなかったでしょう。

長年にわたる混乱を避けて、多くの人が村を離れてコロンボや海外に移住したので、この百周年には普段は村に住んでいない人たちがたくさん帰省して参加していました。
この行事のために、海外移住組の間では多額の寄付集めも行われ、その規模は、これに続く記事の写真から想像していただけるかと思います。

村にずっと残った人たちと、出て行った人たち。両者の混在ぶり、その関係性もまた、内戦終結10年目(この地域の生活が落ち着いてきてまだ5年くらい)の今ならではかもしれません。

ジャフナに行くのはこれで5回目になりました。
3年前に初めて訪れたときは、これがかつてのスリランカ第二の都市かと衝撃を受けたのですが、その第一印象で語りつくせない地下水脈のようなものが文化的にも経済的にもあるのかも…

躍動するジャフナ、いまこの瞬間をめいっぱいに生きる人々の輝きに心打たれつづけたお正月でした。その片鱗でも伝わるといいのですが。

◆ジャフナのお正月2019年4月
百年目のお正月 ←今ここ
お正月の自転車レース
お正月のおっさんず時代劇
お正月のインド歌手コンサート
お正月の運動会

参考:
ニシャンタ先生による解説「4月はスリランカのお正月

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ジャフナとは

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