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2018-09-24

山車を曳く者たちの祈り

ジャフナ地方の料理を紹介した本 “Jaffna Cookery” の著者を訪問した話の続きです。
連れて行っていただいたヒンドゥ寺院では11日間にわたる盛大な祭礼が行われていました。

担がれてお寺から出てくる神様たち。

炎が上がる素焼きのつぼを行進する御神像に掲げているのは、特別に願掛けがある人たちなのだとか。
自分の力ではどうにもならないいろいろなこと。家族の病気。子どもの将来。家計の問題。あるいは戦争で行方のわからなくなった誰かのこと・・・

神頼み、なのだけれど、それは、神に委ねる、でもあるのかもしれない。

ヒンドゥ教では、聖なるものが俗なる姿をとって、ものすごく近くにあるような・・・
しかも、近しくなることで神聖さが弱まるのでなく、聖なるものが聖なるままに、衣の襞に手を伸ばせるところに生きている距離感とでもいうか。

山車に御神像を乗せているところ。赤いカーテンのところに一柱ずつ安置する。

ライトアップされた山車が曳かれてゆっくり進む。背中をこちらに向けている人たちは手に綱を握って引いています。

巨大な山車の真下で進路を調節する人たち。

御神像を乗せた、見上げるような山車があと少しで寺の敷地ををひとまわりする頃、それまで男性だけで曳いていたところに女性たちがワラワラと駆け寄って加わり始めました。

私も勧められて一緒に綱を握りました。全力でうーんっと曳くと、クラッと山車が動く大きな手応え。おぉぉ・・・!!

内戦の26年間、一度も、この祭りが途切れた年はなかったそうです。途中、ジャフナへの出入りがほぼ閉ざされ、陸の孤島となっていた12年間も。

次第に男手が足りなくなって、山車を曳くのに女性も加わるようになったと言っていましたが・・・

2002年の停戦直後の祭りでは、敵対するはずのシンハラ人兵士たちも、軍服のズボンのまま上だけ脱いで一緒に山車を曳いていたのよ、と話してくれた人がいました。(参拝時は男性は上半身裸になるのが決まり。)

「ここの寺はガネーシャ神を祀っているでしょう、仏教徒もガネーシャに祈るから日頃からお参りしてたみたい。シンハラ人だって前線に送られて怖かったんじゃないかな」

誰でもいいから力を借りて、何がなんでも御神像に寺の周りを一周してもらわないと、ということだったのでしょうか。

綱を引くこの手ごたえを
来る年も来る年も・・・・・・

いつ終わるともしれない、未来閉ざされた中で。

どんな思いで。

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◆”Jaffna Cookery”の著者を訪ねて
マダム・ソーマセカランの台所
一族ゆかりのお寺へ
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