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なぜマスカットと呼ばれるか

インドの「ボンベイ・カラチ・ハルワ」というスイーツを、先日、私の勤め先である料理教室、キッチンスタジオペイズリーの授業で作りました。

その時「スリランカではこのお菓子、マスカットって呼ぶんですよね」と言ったら何でだろう??という話になり、調べてみました。

結論から言うと、この菓子の発祥はどうやらアラビア半島オマーンの首都マスカットのようです。
地図で見ると、オマーン湾をへだてて向かいはパキスタンのカラチ、アラビア海を越えればインドのボンベイ(今はムンバイと呼ぶようになりました)。料理の名前に登場する三つの都市は海洋交易上のご近所さんであることが分かります。もちろんスリランカもそれらの都市と海路でつながってきたのです。(クリックすると地図が拡大します。)

スリランカの人口の10%弱を占めるムスリム、「スリランカ・ムーア」とも呼ばれる人々はアラブ商人の末裔。大航海時代以前からスリランカを海の向こうとつないできた人々の子孫です。母語はほとんどの場合、タミル語。

シンハラ人、タミル人に次ぐ第三の勢力として、微妙な立ち位置を保ちつつ、スリランカ社会に柔軟に適応することで活躍し生き延びてきた人々です。

1920年代、60年代に刊行された古くからのスリランカ料理本に、作り方としていくつものアレンジが掲載されていることからも、マスカットは「セイロン料理」として愛されてきたことが分かります。

民族や宗教の境界線、政治の思惑はともあれ、美味しいものは美味しい。スリランカ人のそういう現実的なところが私は大好きだし、このボーダーレスな胃袋こそがこの国の希望だと密かに思っています。

スリランカに行く機会があったら、街角のカデー(定食屋)のガラスケースにありますから、そんな歴史に思いを馳せつつ食べてみてくださいね!

【参考資料1】

アスィフ・フセイン著『イヴィリー・ペヴィリー(食べ物と飲み物)』
Ivilly Pevilly by Asiff Hussein p. 159
「スリランカのムスリムが作る菓子で有名なものにマスカットがある。小麦粉、ギー、砂糖、カシューナッツでできた油分多目の菓子で、緑、赤、黄色などに色づけする。四角く切って、断面が少し固まっているのを食べる。アラブから伝わったものらしく、マスカットという呼び名はおそらくオマーンの首都マスカット(Masqat)に由来する。この菓子はマスカットの街の名物なのだ。ロバート・ビニングが1857年に出版した本にこの菓子のことを書いている。マスカットの街ではハルワという菓子が作られていて、小麦、精製糖、むいたアーモンド、澄ましバターでできていること、また、大量に生産されてインドやペルシャの各地に輸出され珍重されている、とある。」※著者の承諾を得て一部抜粋、翻訳(意訳)。

【参考資料2】
タイムズオブオマーン紙 オマーンのスイーツ事情、老舗ハルワ店について
“Traditional Omani halwa passes the test of time”

【参考資料3】
■チャンドラ・ディサナヤカ著『セイロン・クッカリー』
二種類を掲載。シンプルなもの(水、砂糖、ローズウォーター、小麦粉、ココナッツミルク)と、豪華版(ココナッツフレークやカシューナッツ、ギーを加えたもの)

Ceylon Cookery by Chandra Dissanayake(初版1968年、6版2005年)p. 411 (レシピ番号396,397)

【参考資料4】
■ヒルダ・デュートロム著『セイロン・デイリーニュース・クックブック』
パパイヤ、青バナナ、芋、カボチャ、サゴなどを使ったバリエーションを紹介。
Halwa-de-Muscat, Papaw Mascat, Plantain Muscat, Potato Muscat, Pumpkin Muscat, Sago Muscat, Sweet Pumpkin Muscat

Ceylon Daily News Cookery Book by Hilda Deutrom(初版1929年、18版2016年)p. 277-279(レシピ番号1155-1162)

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2019-04-14 | Blog, Gallery, 暮しぶり

お正月の運動会

スリランカのお正月は4月の半ば。家族、親戚で集まって過ごすのはもちろんなのですが、面白いのは、地域を挙げての大運動会&文化祭が行われることです。
日本に住んでいるスリランカの方たちも、この季節には「新年祭」を開催しているのをご存知でしょうか。クリックするとチラシが開きます、ぜひ行ってみてください!
2019年の新年祭@千葉県野田市
2018年の新年祭@千葉県取手市

そしてニシャンタ先生による解説を貼っておきますね。「4月はスリランカのお正月

以下の写真は、私が今年のお正月をすごした北部州ジャフナ県アリヤーライ村の運動会。

↓↓女性の綱引き。かあちゃん、行けっ!!!取り囲む男性陣、応援に夢中ですごい盛り上がり。

↓↓丸太の上に座って、枕で叩き落しあう。結構、痛そう…

↓↓徒競走



↓↓いい子で出番を待ちます

◆ジャフナのお正月2019年4月
百年目のお正月
お正月の自転車レース
お正月のおっさんず時代劇
お正月のインド歌手コンサート
お正月の運動会 ←今ここ

参考:
ニシャンタ先生による解説「4月はスリランカのお正月

関連記事:
ジャフナとは

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2019-04-14 | Blog, Gallery, 暮しぶり

お正月のインド歌手コンサート


「百年目のお正月」の続きです。村を挙げてのお正月行事@北部州ジャフナ県アリヤーライ村

ふと振り向くと、いつの間にか運動場が満員になっていてのけぞりました。
何人入っているんだろう、予想をはるかに超える規模のコンサート。

この正月行事のために、南インドから何人もの有名歌手を招いているのです。

ここ、アリヤーライ村などスリランカの北部州は、タミル語を母語とする人が大多数。
テレビ番組や映画などの流行も、南インドのタミルナードゥ州のものがそのまま流れ込んできているようです。

なかでも素晴しかったのは歌手、ニクヒル・マシュー(Nikhil Mathew)のバラード!

南インドのタミルナードゥ州にスーパー・シンガーという才能発掘系のテレビ番組があるのですが、そこで2006年に優勝し、映画の吹き替え歌手になるチャンスを得て有名になった人だそうです。

歌って踊ることで知られるインド映画ですが、歌は俳優本人ではなく、こういった歌手の人たちによる吹き替えです。

この曲なら知ってる人いるかな?「カーダル・アヌッカル/愛の原子」 カバー曲なんですけど、日本でも2012年に公開されたラジニ・カーント主演映画「Enthiran」(ロボット)より。誤解のありませんように、映画でニクヒルが歌っているわけではなくて、カバーして歌ってる動画ですよ。

この日のステージで歌っているのも、いろんな映画の主題歌。ラブソングでは男女のかけあいなどありますから、男女数人がずらっと並んで歌うんですね。

これまで、映画を観ることはあっても、吹き替えシンガーのコンサートなんて初めて観たので、すごく新鮮でした。
合唱のように楽譜を見ながら歌っていたのも吹き替えならではだったのか?単に、自分の持ち歌じゃないのを歌っていたのでしょうか。

ちなみに、このニクヒル・マシューという歌手は、タミルナードゥ州ではなくお隣のケーララ州の出身で母語もマラーヤラム語。韓流歌手が日本で人気になるような感じ?両州の関係、もしかするともっとずっと近いのかもしれませんけどね。

それにしても。
ドラヴィダ系男子のメガネ&サロン(腰巻)は反則だよ…どうやったってキュートになるっしょ!!!苦笑
後からネット検索した写真でみるとそこまでドンピシャ好みのヴィジュアルってわけじゃなかったけど、ステージの上の彼には、もぅ、おばさんウットリでした♪♪♪

◆ジャフナのお正月2019年4月
百年目のお正月
お正月の自転車レース
お正月のおっさんず時代劇
お正月のインド歌手コンサート  ←今ここ
お正月の運動会

参考:
ニシャンタ先生による解説「4月はスリランカのお正月

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ジャフナとは

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2019-04-14 | Blog, Gallery, 暮しぶり

お正月のおっさんず時代劇


時代劇。ジャフナ王朝の王様なのでしょうか、陥れられてヨーロッパ人の植民地支配者に殺されてしまうまでのお話。下の動画にある砦、ジャフナとかゴールとか、主要港にヨーロッパ人が築いたのが今でも残っているアレですね。

隣席から所々英語で解説してもらいつつ、言葉が分からなくても観てれば分かるというやつ。

ヨーロッパ人役の人もタミル語でしゃべるんだけど、わざわざ外国訛りのタミル語で演じていたらしい。大河ドラマ、黒船来航シーンで「ハロー、ショーグン!ワタシ、ペリーね!」みたいな?!笑
私には聴いてても違いは分かりません、一緒にいた人が面白がって教えてくれました。

そして「この劇団は各地をまわって公演してるの?」とたずねたら笑われた。

「みんな、この村の人たちよ!王様役の人、今朝うちに来てたあの人よ?」

マジか!!!

村のおっさんたちが劇団を結成。8ヶ月の稽古を重ねて迎えたこの日だったとのことです。

イギリスだったかオーストラリアだったか、海外移住先で演劇経験のあった人が、移住先を引き払って村に戻ってきていて、この劇の脚本を書いたり、演技指導をしたそうです。

演劇は、前から正月行事の定番だったけれど、その人が帰ってきてからは一層、見ごたえのあるものになったらしい。

後で近くに行ってみたら、舞台装置はベニヤ板で組んで立派にペイントしてありました。こういうの本格的に作っちゃうところがすごいよな。衣装も、かなり遠くからでも豪華に見えるよう工夫されていることが分かると思います。

何よりも、舞台裏に激励に行ったときの、役者さんたちの恥ずかしそうな、嬉しそうな、達成感いっぱいの笑顔にやられた!太鼓腹のおっさんたちなのに!!笑
みんな、カッコよかったよっ!

◆ジャフナのお正月2019年4月
百年目のお正月
お正月の自転車レース
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参考:
ニシャンタ先生による解説「4月はスリランカのお正月

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2019-04-13 | Blog, Gallery, 暮しぶり

お正月の自転車レース

「百年目のお正月」の続きです。村を挙げてのお正月行事@北部州ジャフナ県アリヤーライ村

2019年4月13日、朝6時半。新年を翌日に控え、午前中にはマラソン大会と自転車レースが行われました。どちらも上位入賞者にはかなりの額の賞金が出るのです。

自転車レース歴3年目というお兄さんたち。
本業はバイク修理、塗装など。今回は50kmレースに参加、もちろん狙うは1等賞金5万ルピー(3万5千円)。

自転車はパーツを買って組み立てた自作。賞金代わりに自転車をもらったこともあるけれど売ってお金に換えたんだって。

女子のレースもあって「あの娘はすごいよ」と皆が指す女性は90kmを3時間半で走るとのこと。

「あの人は俺たちのアニキ、一番の古株」と教えてもらった青いウェアの男性は64歳。

1971年から、これまで268レースを走ったそうです。1995年から2006年は内戦のため自転車レースには出ていない。
「もう歳だから、順位より出場に意味がある。300レース出場を目指してるんだけどね」と穏やかに笑います。
この村の出身ではなく、いろんなところで開催される自転車レースに参加しているそうです。

「Northern Province(北部州)」と書いたお揃いのジャージを着た若者が何人も。自転車チームがあるようです。

驚いたことに車椅子レースもありました。

見かけたのはお一人だけでしたが、高齢で脚が悪くなって自治体からこの車椅子を支給されたとのこと。この村の辺りではあと一人、同じのを使っている人がいるらしい。

 

乗り心地どうなんですか?ときいたら「とってもいいよ!」と自慢げ。
そう、自力で漕いで行きたいところに行けるって嬉しいですよね・・・
残念ながら時間の都合で車椅子レースの開始には立ち会えず。応援したかったんですが。

男子レースのスタート地点。


女子レースはゴールの瞬間に立ち会えました。
タイヤひとつ前に出て走り抜けた選手のガッツポーズと破顔。目に焼きついています。

スタートやゴールの写真がないのは、気温30度以上の屋外で、スマホの温度が上がりすぎて肝心の時にカメラが使えなかったんです。

そんな中、マラソンの出場者は、なんと裸足の人も多数・・・!
お正月ということで帰省している海外移住組はナイキのウェアにガーミンの腕時計(脈拍など出るスポーツ用のもの)つけて走っていて…
なかなかのギャップだよね。

◆ジャフナのお正月2019年4月
百年目のお正月
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ニシャンタ先生による解説「4月はスリランカのお正月

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ジャフナとは

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2019-04-12 | Blog, Gallery, 暮しぶり

百年目のお正月

スリランカのお正月は4月、2019年は14日が元旦でした。
私は北部州のジャフナ県アリヤーライという村で、料理修行先の家族(ジャフナ料理本著者のご一家)と過ごしました。

「今年のお正月は百周年で、すごいから」と言われてはいたのですが・・・
目にするものに心揺さぶられ続けた3日間でした。

アリヤーライ村の、新年の恒例行事である「大運動会&文化祭」は、百年前の1919年、植民地支配下で始まりました。

英国支配に対抗して、自分たち(タミル人)の文化のすばらしさを自覚し結束を強める目的でした。
その後、その時々で意味合いを変えつつ、この行事は続けられてきました。
1983年から26年間にわたる内戦中も途切れることはなかったそうです。

中でも1990年から2002年の12年間は特に苦しい時期で、この村を含むジャフナ半島全体が陸の孤島となり、物資の流通はおろか、電気などのインフラもままならない状況でした。

この村は、1995年と2000年の二回、強制退去も経験しています。
戦闘地域になってしまい、村に残ることが許されず着の身着のまま家を棄て、国内避難民として近隣に流れ込むしかなかったのです。

そのような混乱の中でも開催をあきらめなかった行事の、百周年でした。

この記事、冒頭に掲げた門の写真には「アリヤーライ・コミュニティセンター」とあります。
地元の人らはこの施設を「ライブラリー」と呼ぶのですが、運動場付きの公民館のようなもので、保育園が併設されていたり、配給所があったり、運動場では放課後にスポーツ教室が行われたりしています。

アリヤーライ村にはこのような施設が11軒もあり、今回の百周年にあたって、イベントの主要会場となるのはもちろん、それぞれのセンターが企画して記念行事の一端を担ったそうです。
こうやってお正月を一緒に過ごさせていただくことがなければ、内戦で人っ子ひとりいなくなったのがそんなに遠い昔でもないこの村に、これほどまでのことが行われていると気づきもしなかったでしょう。

長年にわたる混乱を避けて、多くの人が村を離れてコロンボや海外に移住したので、この百周年には普段は村に住んでいない人たちがたくさん帰省して参加していました。
この行事のために、海外移住組の間では多額の寄付集めも行われ、その規模は、これに続く記事の写真から想像していただけるかと思います。

村にずっと残った人たちと、出て行った人たち。両者の混在ぶり、その関係性もまた、内戦終結10年目(この地域の生活が落ち着いてきてまだ5年くらい)の今ならではかもしれません。

ジャフナに行くのはこれで5回目になりました。
3年前に初めて訪れたときは、これがかつてのスリランカ第二の都市かと衝撃を受けたのですが、その第一印象で語りつくせない地下水脈のようなものが文化的にも経済的にもあるのかも…

躍動するジャフナ、いまこの瞬間をめいっぱいに生きる人々の輝きに心打たれつづけたお正月でした。その片鱗でも伝わるといいのですが。

◆ジャフナのお正月2019年4月
百年目のお正月 ←今ここ
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お正月のおっさんず時代劇
お正月のインド歌手コンサート
お正月の運動会

参考:
ニシャンタ先生による解説「4月はスリランカのお正月

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ジャフナとは

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伝統的なお菓子作りを体験

伝統菓子作りを体験。
スリランカのお正月は4月中旬で、新年を寿ぐお菓子をたくさん作ります。日本でいうとお節料理のような存在です。

その頃ならホテルのビュッフェでも街中のスーパーでも簡単に手に入るのですが、季節外れなので、実演してくれる所を探してもらいました。
作り手は、村に一人はいるようなお菓子作り名人の奥さん。参加者も何人かトライしましたが、なかなか難しかったね!いい経験。

ちなみに、これらのお菓子は結婚式や記念式典など祝いの席にも登場します。今では作れる人が減っているため、お正月前になると、作り手さんたちは1ヶ月以上前から大忙しだそうです。

★キッチンスタジオペイズリー「スリランカ・ツアー2018」レポート

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2018-08-30 | Blog, Gallery, 暮しぶり, 観光

ローカル食堂で朝ごはん

ツアーの皆さんをお連れしたくて移動スケジュールにねじ込んでもらったのが、朝ごはんを食べたレストラン「アンマーチ」。

学生食堂のように料理ごとに並んで買います。
作っているところを見られるし、地元の人でにぎわう美味しさで、大好評でした。

ミルクアッパー2枚で30ルピー(20円ちょっと)など庶民価格で、通勤途中に寄って食べていく人、テイクアウトする人……通勤ファッションを見るのも楽しい。

政府が女性の雇用のために全国各地に作っているレストランで、シンハラ語圏では「ヘラボジュンハラ」という名前で知られています。
 

★キッチンスタジオペイズリー「スリランカ・ツアー2018」レポート

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2018-08-29 | Blog, Gallery, 暮しぶり, 観光

漁村でオディヤル・クールをいただく

ツアーの皆さんに田舎の一般家庭の台所をお見せしたくて、漁村で家庭訪問。

ジャフナ名物の「オディヤル・クール」という海鮮鍋を作って迎えて下さいました。さすが漁村、元漁師さんのお宅のクールは絶品でした!

ご厚意で受け入れてくださったジャヤンティさんご一家に感謝を込めて、香取先生の提案で日本人3名がインドムービーダンスを披露したところ、むこうも返礼のダンス、からの、ディスコ状態に…笑
 

ジャヤンティさんは40才くらいですが、2004年のスマトラ沖地震津波や2009年までの内戦により、これまでの人生で3度も、家を失って着のみ着のまま逃げ出す経験をされています。

ツアーの皆さんには、先入観なく、大家族の賑やかで幸せそうな暮らしぶりを感じていただけたらと、そういった事情は後からお話ししました。「被災者」「元・避難民」としてではなく、日々台所に立って食事の支度をするひとりの女性として出会っていただけたらと…

料理に関心があって参加された方ばかりなので、同じく台所に立つものとしての共感や、台所というプライベートな空間に立ち入らせていたいたことへの感謝、そんな気持ちも自然に、ジャヤンティさんやご家族に伝わったのではないかと思います。

このあたりの地域は観光客慣れしているわけでもなく、しかも26人+現地コーディネータさんたちという大規模なツアーなので、実は、訪問は難しいかなと思っていました。
それが可能になったのは、NPOパルシックの駐在員だった伊藤文さんのお陰です。この地に何年も暮らし築き上げてきた信頼関係あってこそ「文さんのお友だちならどうぞ」と言っていただけました。

伊藤さんのお仕事について以前ブログで紹介したのでご覧いただけたらうれしいです。ジャヤンティさんはこの裁縫プロジェクトで内職してお子さんたちの塾費用を稼いでおられます。

関連記事:
子どもを塾にやる費用を稼ぐ

帰り道にはスリランカ最北端の地に寄って記念撮影。敬愛する同僚の冨塚紀子先生と。

Photo #2, #4, #5, #6 by Sho Hamada

★キッチンスタジオペイズリー「スリランカ・ツアー2018」レポート

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2018-08-22 | Blog, Gallery, 暮しぶり, 観光

混ぜ物のないジャガリー

昨日のお買い物。

キトゥル椰子のジャガリー(椰子糖)はペター市場から。煮詰める時に砂糖を添加していない純度100%の高級品です!道端とかスーパーで売ってるのは大抵、砂糖入り。店内は東京の満員電車もビックリな押し合へし合いぶり、市場内でも特段の人気店の品です。

リバティプラザで見つけた三輪タクシー柄のバータ(ビーチサンダル)。
トゥクトゥクっていうタイ式の呼び方、最近すっかり定着したようで。以前はスリランカでは通じなかったんです。バジャージとかトライショー、スリーウィーラー、オートって呼んでた。

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2018-08-21 | Blog, Gallery, 暮しぶり, 観光

女子高生の定番ファッション

今度の日曜日から料理教室のスリランカツアーなのですが、私だけひと足先に来させてもらっています。
朝ごはんはカリッふわっのメドゥワダが無性に食べたくてタミル食堂で。

それからバスに飛び乗って、まずはペター市場に向かっているところです。
白いワンピースの制服に赤いリボンのお下げ髪は、20年近く前に初めてこの国に来たときから変わらぬ女子高生の定番ファッション。

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2018-07-29 | Blog, Gallery, 暮しぶり, 近況

掲載されました「季刊紙サイクル」


※記事をクリックすると拡大します。

季刊紙サイクルというフリーペーパーにスリランカのことを書きました。
自転車でピクニックなど今号も楽しい記事がいろいろ!
季刊紙サイクルを置いて下さるお店、絶賛募集中だそうです。

設置店一覧と、送付申込先はこちら↓↓
http://www.cycleweb.jp/where.html

季刊紙サイクル
https://www.facebook.com/cycleweb/

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2018-04-14 | Blog, Gallery, 暮しぶり

新年のお菓子

子ども向け雑誌のお正月特集号より。

小学館の雑誌のように学年ごとに内容が違いました。スリランカ北部のジャフナという町で買ったので、タミル語で書かれています。シンハラ語がほとんど通じない町です。

シンハラ人のお正月のお菓子とほぼ同じように見えますが、詳しく見ると違うところもあるのかな。

スリランカの人口の75%がシンハラ人、15%がタミル人。インドのタミルナードゥ州のタミル人にこの絵を見せたら自分達の風習とはだいぶ違うという反応でした。

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2018-04-14 | Blog, Gallery, 暮しぶり, 近況

新年のご挨拶2018年4月

スリランカは今日がお正月。先ほど11:43AM(現地時間8:13AM)に新しい年が始まりました。明けましておめでとうございます!

たまたまですがランチは都内のスリランカ料理店にて。ロウソクとお菓子が飾られお正月モードです。

සුභ අලුත් අවුරුද්දක් වේවා !

இனிய புத்தாண்டு வாழ்த்துக்கள்!

なぜ4月がお正月なのかというと・・・

天球上おける太陽の見かけ上の通り道(黄道)は12の区画に分けられており12星座の名前がついているのですが、太陽が「牡羊座」の区画に入るタイミングを正月としているのだそうです。

大昔は太陽が牡羊座に入るのは春分だったが、地軸の傾きの変化でどんどん時期が後ろ倒しにずれているという説明もきいたことがあります。占星術に詳しくないので理解しきれないのですが諸説あるようです。

スリランカのカレンダーでは月の動きがすごく重要で、毎月、満月の日は国民の祝日になるほどですが、この正月に関しては月じゃなくて太陽の動きに基づいて決めているんですね。

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スリランカの野菜


現地語での呼び方をちゃんと覚えようと思って、シンハラ文字とタミル文字の読み方を貼っているところ。

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2018-03-10 | Blog, Gallery, 暮しぶり, 観光

スリランカの食卓を彩るノリタケ

輸出用とは違った、地元向けのレトロなデザインのノリタケを少しずつ集めています。
日本を代表する陶磁器メーカーのノリタケが、上質な土と水に恵まれたスリランカに目をつけて工場を開いたのは1972年。年表

以前、夫の誕生日にプレゼントしたノリタケ×バンダイのコラボ 「シャアのティーカップ」もMade in Sri Lankaでしたよ。

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2018-03-07 | Blog, Gallery, 暮しぶり

MANGA@SL

コロンボ中心部の大手書店Vijithayapa Bookshopにずらっと並ぶ名作たち。
昔、NGOでコロンボ駐在してた頃こんなのあったら棚ごと大人買いしてたな…。
読み物に飢えて、お金もないのに7000円分の小説本を5000円も送料払って取り寄せたのを思いだします。当時、同僚の月給が7000円でした。
まだ日本のAmazonが始まったばかりの頃で、高いとはいえお金さえ払えばこんなところまで届けてくれるって、なんて素晴らしい時代になったんだ!!と思ったんですよね、その時も。

スリランカでは大学や高校の入試科目に日本語を選択できるから、それをきっかけに日本文化に触れる子もいるようです。スリランカの日本語教育事情

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レトロな蒸し器

スリランカ北部の街、ジャフナの一般家庭で使われている蒸器です。
こちらの方達は朝晩の食事にこれでプットゥを蒸しています。プットゥは、米粉やオディヤル粉(パルミラ椰子の芽のデンプン)、あるいは雑穀の粉などとココナッツフレーク、時には野菜も混ぜて蒸した主食です。
あんまりかわいいので買っちゃいました。

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わにパン

キンブラバニス(Kimbula Banis)というスリランカのパンです。
キンブラはワニ、噛みつかれるかも?!ってドキドキしながら先制攻撃、パクっ!
例えば日本でいうとメロンパンのような、どこのパン屋にもある愛され系定番…というところでしょうか。
お友だちのイラストレーター高橋 稚加江さんの好物だと聞いて久しぶりに買ってみました。

一年ぶりのスリランカ、料理修行3日目を終えて地方都市からコロンボに戻る高速バスのおやつです。

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2017-06-05 | Blog, Gallery, 暮しぶり

かまどに椰子殻をくべて


かまどが2つ。ひとつは椰子殻、もうひとつは薪を燃料にしていました。クリックすると大きい写真が開きます。
 

この日は、体調がすぐれない中で台所に立ってくださったようなのですが、料理上手と聞いていたとおり。

透明なブルーのお皿、映えますね。きっと食器やテーブル周りのこともお好きなんだろうな。

ここはスリランカ北部のムライティブ県コクトルワイ村の民家。
月に何度か、隣県ジャフナから車で2時間以上かけてやってくる裁縫の先生やNGOパルシックのスタッフのために、こうして昼食を用意なさるのだそうです。私もお相伴にあずかりました。

内戦の影響を大きく受けたこの村に、こんな何気ない日常の食卓が戻ってきたのは、実はほんの数年前のこと。

この日の訪問と、この村について、ぜひこちらの記事もご覧ください。

ブルーのお皿、どこで買ったんだろうな。
あんなしゃれた物を売る店が、あの村にはもうあるんだろうか。それとも、どこかのお寺にお参りにでも行ったとき、買ってきたんだろうか。

やっと戻ってきた土地にふたたび家を建て、やっと自分のかまどで料理ができるようになって。

新しい食卓のためのすてきなお皿を・・・

どこかの店で手に取った時の彼女を思って、この写真を見返すたびに胸がぎゅっとなるのです。

 

関連記事:
子どもを塾にやる費用を稼ぐ

参考:
特定非営利活動法人パルシック
駐在員の伊藤文さんによる現地レポート
「サリーリサイクル事業 ムライティブの新しい女性グループ」

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2017-06-05 | Blog, Gallery, 暮しぶり

子どもを塾にやる費用を稼ぐ

裁縫の先生を囲んで、みんな真剣なまなざし。
何日かかけてミシンをカタカタ・・・ステッチをチクチク・・・
縫い上げたものを品質チェック中なのです。
さぁ、今回は買い取ってもらえるでしょうか。

稼ぎたいけれども仕事がない女性たちに、ミシンなどの機材や、布地、デザインを提供し、縫ったものを買い取ってコロンボなど都市部で販売する。そんなプロジェクトをスリランカ北部地域で展開しているのは日本のNGO、パルシックです。
裁縫の先生とパルシックのスタッフが、いくつかの村を巡回して製品チェックと裁縫指導される日に、ご厚意で見学させていただきました。
この日のランチの様子はこちら


ここ、ムライティブ県コクトルワイ村は内戦の影響を大きく受けました。
住み慣れた土地を軍用地として接収されるなど、離れざるを得なかった人たちが多かったそうです。

内戦終結は2009年。最後の激戦地となった場所も、さほど遠くありません。人々が戻って暮らし始めるのには、それからさらに時間がかかりました。ほんの数年前からのことです。

この日のもうひとつの訪問先コクライ村にて。
  

ちなみに、裁縫の収入でどんなことをしたいのか伺ったところ、30代の女性はお子さんを塾にやる費用に、と。さすが教育熱心なスリランカ。

家も作りかけ、村も再建しかけのような境遇の中でも、いやむしろ、そんな中だからこそ、教育は希望。
いつ終わるとも知れなかった内戦のさなかにも、学び続けることこそが心の支えとなる一筋の光なのだと思い知らされたことがあります。

20代の女性は裁縫の収入でネックレスを買うとのこと。
あぁ、結婚資金の準備だろうなと思って聞き返すと、やはりそうでした。結納に24金のアクセサリーを用意する習慣があるから。本当なら親兄弟が用意するところでしょうけれど、ご自分で頑張っているんですね。
日本と習慣が違うから事の重さが伝わりにくいかもしれませんが、進学と同様、人生の真剣な問題です。

「人びとが20年に及ぶ避難から戻り始めたばかりで、トタン板と椰子の葉で作った小さな家々が草むらの中に点在している状態」の頃から、この村の暮らしを見つめてきた日本人女性がいます。

ぜひ、下のリンクをクリックして読んでいただけたらうれしいです。

特定非営利活動法人パルシック
駐在員の伊藤文さんによる現地レポート
「サリーリサイクル事業 ムライティブの新しい女性グループ」

子どもたちが塾で学ぶ様子をこちらの記事の写真で見ることができます。ものすごく貴重な現地レポートです。
「ムライティブ日誌#8 子ども向けの課外授業を開始しました」
「コクライ村のコミュニティセンターで奨学金試験に向けて集中講座を開講中」

関連記事:
かまどに椰子殻をくべて

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2017-05-11 | Blog, Gallery, 暮しぶり

出稼ぎ帰りの晴れ姿

冷蔵庫です。飛行機に乗せてきたのです。
いつ見ても不思議なんですが、こんなでっかいのを預けて、一体いくらエクセス・チャージを払ったんでしょう・・・

この3月、コロンボ空港に降り立ち、携帯のSIMを買おうとうろうろしていたとき見かけた光景です。
思わず、「立派な冷蔵庫ねぇ!」と話しかけて、少し立ち話し。
予想通り、彼女は中東での出稼ぎから戻ったところでした。

スリランカでも、立派な冷蔵庫は買えるのです。
余分なお金を払って飛行機に乗せなくても・・・と思うのですが、空港の到着ゲートを出てくる時に、迎えに来た親族が見守る中、この大きな冷蔵庫をしずしずと押して出てくるっていうのがとにかく重要なんでしょうね。

出稼ぎ先が中東の場合、仕事といえば、女性ならハウスメイド、男性ならタクシードライバーのことが多い。
この晴れ姿のために、異国で何年も頑張って働いてきたに違いありません。ある意味、彼女の人生のハイライトなのです。お母さんや親戚のお姉さんたちが、そうやって帰国するのを見て、憧れて育ったかもしれません。

2001年頃のこと。
コロンボに駐在していた私は、ある日、日本から来るお客さんを迎えに空港に行きました。
到着ゲートで待っていると、たまげたことに、1本、また1本、列をなして大型の冷蔵庫が出てくるではありませんか。
カートを押してくるのは、もちろん、出稼ぎ帰りの女性たち。たしかクウェートからの飛行機だったと思います。

当時の職場の同僚も、3人のうち2人は中東出稼ぎ経験者でした。年齢は私と変わらなかったから、1970年代生まれの20代後半。

1人は、出稼ぎのお金で家を建て、新築祝いに職場の全員を招いてくれました。青い壁のかわいいおうちでした。
出稼ぎは、旦那さんを置いて4年だったかな。
家ができたから次は子ども!というわけで、ほどなく、おめでた。
人生設計ちゃんとしていて、スリランカの田舎の「しっかりものの女房」を絵に描いたような人でした。

もう1人は独身で出稼ぎに行って、私の駐在中に結婚。
もちろん職場の全員がお式に招かれたのですが、圧巻だったのは、嫁入り道具の列。
スリランカの木製家具って重厚ですごく立派なんですよね、そういう大きな箪笥を屈強な男たちが6人がかりで運び、それに続いて数々の家電、もちろん飛行機に乗せてきた冷蔵庫も、招待客全員が見守る中、パレードのように通りから家に運び込まれて行ったのでした。すべて彼女が稼いだお金で買ったのです。

出稼ぎしたことのなかったもう1人も、ずっとチャンスを狙っていました。
ただし、彼女が目指す先は中東ではなく、オーストラリアかカナダ。ほかの二人より教育レベルが高く(Aレベル修了、日本でいう高卒)、英語も日本語もいくらか話せる彼女は中東でハウスメイドになる気はなかったのです。
それに、西欧への出稼ぎは、中東に行くのと比べて、斡旋業者に払う料金も高いので、元々ある程度の経済力がないと目指すことができません。

いろんな人の「出稼ぎ」体験を聴くなかで見えてきたスリランカがあります。

もっと知りたい方にお勧めの本を別の記事で紹介しました。
『イスル・ソヤ—スリランカの海外出稼ぎ事情』内藤 俊雄 著
スリランカの人たちと友達づきあいをしたり、仕事をしたりしていく上で参考になる本を挙げるとしたら、迷わずベスト3に入れる、思い入れのある一冊です。

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